2011年7月10日日曜日

「銃を磨く男 蔵岡弘之自由律俳句集」発行

「銃を磨く男 蔵岡弘之自由律俳句集」きゃらぼくの会発行
 800円。希望者は 電話0858-22-2441 同会まで。

 以下日本海新聞2011年7月9付記事より

 「すずしく我を見る死んだ子の写真を直す」「妻が死にその娘と歌をうたっている男」
 突然、子に先立たれ、病む妻をみとり、その哀歌がやるせなく突いてくる。表出された静かな言葉は、読むがままに読む者の心を揺すり、さいなんでくる。
 「鉄の梁の上でずぶ濡れの軍手をしぼる」「息もつかず働き激しく頭を行き交うもの」
 悲しさを胸深く押し沈め、まるで何事もなかったかのごとく、がむしゃらに、しかし淡々と働き続ける男の姿を見る。
 これが、自由律俳句だ。萩原井泉水が『層雲』で提唱し、尾崎放哉、種田山頭火など幾多の俳人を生んだ自由律俳句100年の流れだが、鳥取県中部の地においても、『層雲』に沿った俳誌『ペガサス』『梨の花』『きやらぼく』と続く脈々とした流れがある。
 ふとしたきっかけでその流れに出合った作者が、4年間に詠んだほぼ全ての句、469句をまとめたものが、『銃を磨く男 蔵岡弘之自由律俳句集』だ。一つ一つの句を味わっているだけでは知りえない深いものがあることに、句集として読んであらためて気付く。それは、放哉や山頭火とは異なるが、これも自由律俳句であり、自由律俳句なればこそ詠み得た世界であるともいえる。
 作者の蔵岡弘之氏は、羽合町(現・湯梨浜町)橋津で鉄工所を営んでいた。その人生にはつらく痛々しいものがあったのだが、普段人に語ることはなく、だからこそ自由律俳句を知り得てからは、心の空隙を埋めるがごとく一文字一文字を連ねていったのではないかと思われる。その言葉は平易であり、見詰める視線は鋭く冷徹でたじろがず、しかもいとおしさと優しさも同時に持っている。さながら、引き金を引かない銃の照星と照門を磨き続け、時折じっと獲物を見詰める漁師のまなざしを思わせる。
 「人には会いたくないもう誰もくるな」「病院の深夜の灯が患者の命吸い上げる」
 やがて人生のつらさは自らががんに侵されるに到るが、そこでもなお冷徹でたじろがない視線でいようと悶える作者の姿は、殉教者の姿とも重なり合っていくかのように見えてくる。
 亡くなって14年目の句集出版だが、ぜひ手にとっていただきたいと思う。必ずや胸を打つものがあると信じている。
 三好 利幸 (『きやらぼく』会員)

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